細川 頼之(ほそかわ よりゆき)は、南北朝時代から室町時代初期にかけての武将、政治家。室町幕府管領。細川氏の本家京兆家の当主。幼名は弥九郎。はじめ武蔵守、後に相模守。足利氏の一門である細川氏の武将として、阿波、讃岐、伊予など四国地方における南朝方と戦い、観応の擾乱では幕府方に属す。管領への就任で幕政を指導し、幼少の足利義満を補佐して半済令の施行や南朝との和睦などを行う。天授5年/康暦元年(1379年)の康暦の政変で失脚するが、その後は赦免されて幕政に復帰する。
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