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  • 等々力 治右衛門(とどりき じえもん、生没年不詳)は戦国時代の武将。仁科氏家臣。信濃国安曇郡等々力郷領主。穂高川流域に等々力城を築城している。天文20年(1551年)の武田氏の小岩嶽城攻めに参加し、仁科盛信の腹心として同年、越後国境の敵情視察に努めて感状を受ける。天正8年(1580年)盛信が、領中に散在した馬市を穂高に集中させるに際して、治右衛門尉に宛てた数通の書状がある。これらの文書は、馬市の監督を命ずるとともに、軍勢の動員と携帯すべき武具の心得等を通達しているものであり、安曇郡諸将に大町参府を命じた文書とあわせて、当時の安曇野の武士の動静を伺い知ることができる。仁科氏宗家、武田氏の滅亡後は、「仁科衆」(郷士)として小笠原氏に仕官し、大坂冬の陣には小笠原忠脩に従って出陣している。
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  • 等々力 治右衛門(とどりき じえもん、生没年不詳)は戦国時代の武将。仁科氏家臣。信濃国安曇郡等々力郷領主。穂高川流域に等々力城を築城している。天文20年(1551年)の武田氏の小岩嶽城攻めに参加し、仁科盛信の腹心として同年、越後国境の敵情視察に努めて感状を受ける。天正8年(1580年)盛信が、領中に散在した馬市を穂高に集中させるに際して、治右衛門尉に宛てた数通の書状がある。これらの文書は、馬市の監督を命ずるとともに、軍勢の動員と携帯すべき武具の心得等を通達しているものであり、安曇郡諸将に大町参府を命じた文書とあわせて、当時の安曇野の武士の動静を伺い知ることができる。仁科氏宗家、武田氏の滅亡後は、「仁科衆」(郷士)として小笠原氏に仕官し、大坂冬の陣には小笠原忠脩に従って出陣している。
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  • 等々力治右衛門
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