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  • 『牟子理惑論』(ぼうしりわくろん)とは、仏教の中国伝来当初の後漢代に撰せられたと言われる論書である。理惑論とは、「惑いを理(おさ)める論」の意である。また、古写本等から、本来は『治惑論』であったのを、唐の高宗の諱である治を避諱して『理惑論』になったとする説がある。『弘明集』巻1に収録されている。作者の牟氏は、霊帝崩御後の動乱を避けて交趾に赴き、蒼梧に戻って結婚したが、仕官せず、母の喪にあったのを契機として仏道に志したという。また、老子五千文も兼修し、理惑論を著したという。本書の成立は、その内容からいって、三国以後のこととされる。ただ、陸澄撰『法論目録』に本書が著録されているので、下限は劉宋明帝(位465年 - 472年)の時代ということとなる。
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  • 『牟子理惑論』(ぼうしりわくろん)とは、仏教の中国伝来当初の後漢代に撰せられたと言われる論書である。理惑論とは、「惑いを理(おさ)める論」の意である。また、古写本等から、本来は『治惑論』であったのを、唐の高宗の諱である治を避諱して『理惑論』になったとする説がある。『弘明集』巻1に収録されている。作者の牟氏は、霊帝崩御後の動乱を避けて交趾に赴き、蒼梧に戻って結婚したが、仕官せず、母の喪にあったのを契機として仏道に志したという。また、老子五千文も兼修し、理惑論を著したという。本書の成立は、その内容からいって、三国以後のこととされる。ただ、陸澄撰『法論目録』に本書が著録されているので、下限は劉宋明帝(位465年 - 472年)の時代ということとなる。
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  • 牟氏理惑論
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