Data Table
PropertyValue
dbpedia-owl:abstract
  • 源顕親(みなもとのあきちか、寛治2年(1088年)- 永暦元年(1160年))は、平安時代後期の官人。村上源氏顕房流。権大納言源雅俊の子。母は備中守高階為家女。同母兄弟に顕重・顕俊がいた。子に雅範・俊光・俊長・藤原公行室らがいた。右京権大夫・侍従・播磨守・皇后宮(藤原泰子)亮などを歴任。天養元年(1144年)昇殿を許された。久寿2年(1155年)の高陽院(藤原泰子)の葬送に際しては奉行を務めた。最終位階は正四位下だった。晩年出家し、永暦元年に73歳で卒去。梅津殿と呼ばれる山荘を所有し、彼の没後は藤原忠通の持ち家になった。
dbpedia-owl:wikiPageID
  • 1276456 (xsd:integer)
dbpedia-owl:wikiPageLength
  • 518 (xsd:integer)
dbpedia-owl:wikiPageOutDegree
  • 30 (xsd:integer)
dbpedia-owl:wikiPageRevisionID
  • 51335813 (xsd:integer)
dbpedia-owl:wikiPageWikiLink
dcterms:subject
rdfs:comment
  • 源顕親(みなもとのあきちか、寛治2年(1088年)- 永暦元年(1160年))は、平安時代後期の官人。村上源氏顕房流。権大納言源雅俊の子。母は備中守高階為家女。同母兄弟に顕重・顕俊がいた。子に雅範・俊光・俊長・藤原公行室らがいた。右京権大夫・侍従・播磨守・皇后宮(藤原泰子)亮などを歴任。天養元年(1144年)昇殿を許された。久寿2年(1155年)の高陽院(藤原泰子)の葬送に際しては奉行を務めた。最終位階は正四位下だった。晩年出家し、永暦元年に73歳で卒去。梅津殿と呼ばれる山荘を所有し、彼の没後は藤原忠通の持ち家になった。
rdfs:label
  • 源顕親
owl:sameAs
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbpedia-owl:wikiPageWikiLink of
is prop-ja: of
is foaf:primaryTopic of