Data Table
PropertyValue
dbpedia-owl:abstract
  • 源 成雅(みなもと の なりまさ、生没年未詳)は、平安時代後期の公家。村上源氏の陸奥守・源信雅の四男。母は伊予守・藤原国明の女、あるいは「為家朝臣女」とされるが不詳。正四位下、左近衛中将。姉妹が妻となっていた藤原頼長に近侍し、保元の乱の際には、頼長とともに崇徳上皇方に参加する(当時成雅は左近権中将の職にあった)。上皇方が後白河天皇方に敗れると、出家(法名は蓮浄)し恭順の意を示すが、赦されず越後国に配流となった。数年を経て応保年間には帰洛が許され、その後かつての敵である後白河院の近習となっていたことが『梁塵秘抄』に見える。僧形となっていたことから、世上、近江中将入道と呼ばれたという。降って安元3年(1177年)には、鹿ケ谷の陰謀に加担したかどで捕らえられ、再度佐渡国に配流となっている。
dbpedia-owl:wikiPageID
  • 556252 (xsd:integer)
dbpedia-owl:wikiPageLength
  • 560 (xsd:integer)
dbpedia-owl:wikiPageOutDegree
  • 24 (xsd:integer)
dbpedia-owl:wikiPageRevisionID
  • 51086748 (xsd:integer)
dbpedia-owl:wikiPageWikiLink
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
dcterms:subject
rdfs:comment
  • 源 成雅(みなもと の なりまさ、生没年未詳)は、平安時代後期の公家。村上源氏の陸奥守・源信雅の四男。母は伊予守・藤原国明の女、あるいは「為家朝臣女」とされるが不詳。正四位下、左近衛中将。姉妹が妻となっていた藤原頼長に近侍し、保元の乱の際には、頼長とともに崇徳上皇方に参加する(当時成雅は左近権中将の職にあった)。上皇方が後白河天皇方に敗れると、出家(法名は蓮浄)し恭順の意を示すが、赦されず越後国に配流となった。数年を経て応保年間には帰洛が許され、その後かつての敵である後白河院の近習となっていたことが『梁塵秘抄』に見える。僧形となっていたことから、世上、近江中将入道と呼ばれたという。降って安元3年(1177年)には、鹿ケ谷の陰謀に加担したかどで捕らえられ、再度佐渡国に配流となっている。
rdfs:label
  • 源成雅
owl:sameAs
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbpedia-owl:wikiPageWikiLink of
is foaf:primaryTopic of