源 忠重(みなもと の ただしげ、生年不明 - 長元6年6月15日(1033年))は、平安時代中期の武士・官人。源満政の長男。兄弟姉妹に忠隆、忠国、源重文室らがあり、子に定宗(重宗の父)、定重、藤原兼頼室、内侍紀伊(祐子内親王家駿河?)らがある。官位は従四位下、検非違使、左衛門大尉、刑部権大輔、駿河守、遠江守、陸奥守(『尊卑分脈』)。父と同じく都で藤原道長一族に臣従し受領を務めた。寛仁2年(1018年)10月には遠江守に任官しており道長に馬10疋を献上した(『御堂関白記』同年10月11日条)。また『栄花物語』には藤原頼通に男子(通房)が生まれた際、忠重の娘が乳母の一人となったことがみえている(同書巻24「わかばえ」)。そのほか、駿河守を務めたことや父の代より関係があったとも云われる美濃に郎党を有していたことなども確認されている(『左経記』長元6年6月27日条)。なお、『尊卑分脈』で子として挙げる「内侍祐子号紀伊」なる女性を女流歌人祐子内親王家紀伊とする見解が存在したが、祐子内親王家には別に「駿河」と名乗る勅撰歌人の女房がおり、現在ではこちらが忠重の娘と考えられている。
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