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  • 泰昌(たいしょう)は中国、明代の元号(1620年8月 - 12月)。第15代皇帝光宗の在位期の年号であり、このため光宗は泰昌帝と呼ばれる。中国では皇帝の代替わりによる改元は、本来は踰年改元といって、翌年の元日に改められる。すなわち、皇帝が崩御した年の次の年の元日からは、新皇帝の為に、新しい年号が用いられるのである。万暦48年(1620年)7月に万暦帝が崩御し、8月に光宗が即位した。今述べた原則に従えば、1620年いっぱいは、万暦48年とされ、翌年から新しい年号となる。実際に、光宗も、即位時に翌年(1621年)を泰昌元年とすると発表した。しかし、光宗が9月に急死し、熹宗が即位した。再び原則に従えば、翌年(1621年)の年号を泰昌以外の新しいものにしなくてはならない。だが、光宗の治世を示す年号が、このままでは立たないままで終わってしまう。そのため、群臣は、万暦48年(1620年)の8月以降を「泰昌元年」とした。
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  • 泰昌(たいしょう)は中国、明代の元号(1620年8月 - 12月)。第15代皇帝光宗の在位期の年号であり、このため光宗は泰昌帝と呼ばれる。中国では皇帝の代替わりによる改元は、本来は踰年改元といって、翌年の元日に改められる。すなわち、皇帝が崩御した年の次の年の元日からは、新皇帝の為に、新しい年号が用いられるのである。万暦48年(1620年)7月に万暦帝が崩御し、8月に光宗が即位した。今述べた原則に従えば、1620年いっぱいは、万暦48年とされ、翌年から新しい年号となる。実際に、光宗も、即位時に翌年(1621年)を泰昌元年とすると発表した。しかし、光宗が9月に急死し、熹宗が即位した。再び原則に従えば、翌年(1621年)の年号を泰昌以外の新しいものにしなくてはならない。だが、光宗の治世を示す年号が、このままでは立たないままで終わってしまう。そのため、群臣は、万暦48年(1620年)の8月以降を「泰昌元年」とした。
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  • 泰昌
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