正親町三条家(おおぎまちさんじょうけ・正親町三條家)は、大臣家の家格を有する公家。藤原北家閑院流・三条家庶流。左大臣三条実房の三男公氏を家祖とする。実房の長男公房が継承した嫡流三条家(転法輪三条家)と区別すべく、公氏流を正親町三条と称するのであるが、この家名が定着したのは7代公豊の頃という。「正親町」の称は、屋敷が正親町通り東洞院に面していたことに由来する。また、公氏は嵯峨や西郊とも称したので、明治時代に至って28代実愛が家名を嵯峨(さが)と改めた。
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