橘 古那可智(たちばな の こなかち、生年不詳 - 天平宝字3年7月5日(759年8月21日))は、聖武天皇の夫人。正四位下中宮大夫橘佐為の娘。県犬養三千代の孫娘で、正一位左大臣橘諸兄の姪。橘夫人と呼ばれた。天平9年(737年)2月に無位から従三位に叙せられており、この時期に聖武天皇の夫人となったと思われる。同時に父佐為も従四位上から正四位下に昇進している。天平21年(749年)4月、正三位から従二位に昇進した。その後、正二位に昇叙される、橘奈良麻呂の乱が起こった2ヵ月後の天平宝字元年(757年)閏8月、妹真都我や同族とともに橘氏を改めて広岡朝臣姓を賜った。天平宝字3年(759年)7月5日に薨去したが、このときは「夫人正二位広岡朝臣古那可智」と記載されている。聖武天皇との間に皇子女はいなかった。仏教に篤く帰依し、天平14年(742年)2月に韓櫃などの調度を、また同18年(746年)5月に『薬師経』などをそれぞれ法隆寺に施入した。また天平勝宝4年(752年)4月の大仏開眼法会にも刀子・琥碧誦数を献じた。大和国添上郡広岡(奈良県奈良市法蓮町)にある普光寺は、古那可智が聖武天皇のために建立したといわれている。
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