Data Table
PropertyValue
dbpedia-owl:abstract
  • 廷尉(ていい)とは、中国の官名である。九卿の1つ。日本の検非違使の唐名にもあたる。秦では、「刑辟」すなわち刑罰・司法を管轄し、正、左右の3監を有した。秩禄はいずれも千石である。前漢でも、秦とほぼ同様の管轄である。景帝の時代にいったん大理と改称されたが、武帝の建元4年(紀元前137年)に再び廷尉に戻され、哀帝の元寿2年(紀元前1年)に再び大理とされた。宣帝の地節3年(紀元前67年)に、左右の平を置いている。新の王莽は、大理を作士と改称している。後漢では、再び廷尉の名に復している。秩禄は中二千石。正、左の監各1人、左平1人(秩禄六百石)を有した。三国時代の三国でも、廷尉の地位は残存した。
dbpedia-owl:wikiPageID
  • 1375196 (xsd:integer)
dbpedia-owl:wikiPageLength
  • 625 (xsd:integer)
dbpedia-owl:wikiPageOutDegree
  • 24 (xsd:integer)
dbpedia-owl:wikiPageRevisionID
  • 57599024 (xsd:integer)
dbpedia-owl:wikiPageWikiLink
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
dcterms:subject
rdfs:comment
  • 廷尉(ていい)とは、中国の官名である。九卿の1つ。日本の検非違使の唐名にもあたる。秦では、「刑辟」すなわち刑罰・司法を管轄し、正、左右の3監を有した。秩禄はいずれも千石である。前漢でも、秦とほぼ同様の管轄である。景帝の時代にいったん大理と改称されたが、武帝の建元4年(紀元前137年)に再び廷尉に戻され、哀帝の元寿2年(紀元前1年)に再び大理とされた。宣帝の地節3年(紀元前67年)に、左右の平を置いている。新の王莽は、大理を作士と改称している。後漢では、再び廷尉の名に復している。秩禄は中二千石。正、左の監各1人、左平1人(秩禄六百石)を有した。三国時代の三国でも、廷尉の地位は残存した。
rdfs:label
  • 廷尉
owl:sameAs
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbpedia-owl:wikiPageWikiLink of
is prop-ja:称号・役職 of
is foaf:primaryTopic of