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  • 富樫 泰俊(とがし やすとし、生年不詳 - 天正2年2月19日(1574年3月12日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。富樫氏18代当主(高家の代から数えての数)。富樫稙泰の長男。弟に晴貞。子に稙春、家俊。享禄4年(1531年)の大小一揆に小一揆方として参戦したが、捕らえられた。後に逃亡して、弟の晴貞の死後、家督を継いだという。一度加賀へ戻り野々市城主となるが、本願寺方に攻められ、越前に逃亡する。しかし、天正2年(1574年)に越前国金津にて親子3人共々討死し、富樫氏は滅亡した。なお、泰俊の3男・家俊は危うく難を逃れて名を後藤弥右衛門と改め、佐久間盛政に仕えて300石の領地を得るなどした。
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  • 富樫 泰俊(とがし やすとし、生年不詳 - 天正2年2月19日(1574年3月12日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。富樫氏18代当主(高家の代から数えての数)。富樫稙泰の長男。弟に晴貞。子に稙春、家俊。享禄4年(1531年)の大小一揆に小一揆方として参戦したが、捕らえられた。後に逃亡して、弟の晴貞の死後、家督を継いだという。一度加賀へ戻り野々市城主となるが、本願寺方に攻められ、越前に逃亡する。しかし、天正2年(1574年)に越前国金津にて親子3人共々討死し、富樫氏は滅亡した。なお、泰俊の3男・家俊は危うく難を逃れて名を後藤弥右衛門と改め、佐久間盛政に仕えて300石の領地を得るなどした。
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  • 富樫泰俊
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