安東 円恵(あんどう えんえ、弘安8年(1285年) - 康永2年(1343年))は、鎌倉時代末期から南北朝時代の武将で、鎌倉幕府執権北条氏得宗家の被官(御内人)として六波羅探題に務めた。父は安東蓮聖、諱は助泰、通称は治右衛門。円恵は禅僧としての法名である。新田義貞の妻の伯父安東聖秀との血縁関係を示唆する説もある。渡来僧の西礀子曇(せいかんすどん)について禅を修め、上野国長楽寺の住持となった。奈良国立博物館所蔵の「安東円恵像」は国の重要文化財に指定されている。
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