大覚寺統(だいかくじとう)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて皇位に即いた皇室の系統で、持明院統と対立していた。第88代後嵯峨天皇の子である第90代亀山天皇の子孫である。亀山・後宇多両天皇が京都の外れの嵯峨にあった大覚寺の再興に尽力し、出家後はここに住んで院政を行った事からこの名称が付けられた。
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