大日本製糖株式会社(だいにほんせいとう)は、かつて砂糖の製造加工を中心とした企業である。1895年(明治28年)12月に資本金30万円で創立した日本最初の製糖会社である日本精製糖株式会社が前身である。この日本精製糖株式会社が、1906年(明治39年)12月に日露戦争の好景気の時期に乗じて、日本精糖株式会社を合併して、商号を大日本製糖株式会社と改め、台湾に分蜜糖工場を設立した。翌1907年(明治40年)には鈴木商店の大里製糖所を買収した。日東化学、日東金属鉱山とともに藤山コンツェルンの基幹企業として位置づけられたが、藤山愛一郎の政治活動により株式の売却が進み藤山家の影響は徐々に弱まる。大日本製糖の流れを受け継ぐ現在の大日本明治製糖は三菱商事の100%子会社となっており、三菱グループに属する。戦前は北大東島・南大東島を所有し、植民地運営会社のように開発とともに行政も担っていた。
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