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  • 大掾 満幹(だいじょう みつもと、生年不詳 - 1430年1月7日(永享元年12月13日)は、室町時代の武将。常陸国人大掾氏当主。水戸城主。大掾詮国(あきくに)の子。弟に大掾秀幹(ひでもと)。実子に慶松、養子に上杉教朝、大掾憲国(のりくに、佐竹義憲(義人)の3男、戸村氏祖)、大掾頼幹(よりもと、甥(秀幹の子))がいる。(家系は系図によって異なっているため異説もあり。)父・詮国(初め文幹)が足利義詮から偏諱の授与を受けたのと同様に、満幹も鎌倉公方・足利氏満より偏諱を賜ってその名を称した。鎌倉府に仕えていたが、応永23年(1416年)に元関東管領上杉禅秀(氏憲)が鎌倉公方足利持氏に対し兵を挙げると(上杉禅秀の乱)、禅秀の子・教朝を養子に迎えていた事もあって禅秀方に加担、翌年禅秀が敗死すると降伏した。その後、京都扶持衆となり室町幕府側についたが、応永33年(1426年)、江戸通房に水戸城を奪われ、3年後に鎌倉雪の下で実子の慶松と共に殺された。満幹の養子の一人、憲国は養子縁組を解消して佐竹氏に戻ったため、代わって甥の頼幹が継いだ。大掾清幹はこの末裔である。
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  • 大掾満幹
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