堀 景光(ほり かげみつ、生没年不詳)は平安時代末期の武士。源義経の郎党。通称は弥太郎。系譜など詳しいことは分かっていないが、早い時期から義経子飼いの郎党として行動していたらしい。『平治物語』で「金商人」とされている事から、金売吉次の後身ともいわれる。『吾妻鏡』によると、元暦2年(1185年)5月15日 義経の使者として鎌倉へ向かい「壇ノ浦の戦いの捕虜である平宗盛・清宗親子を連れ15日に酒匂駅に着くので、明日鎌倉へ入りする」と伝えるが、義経の兄頼朝は北条時政を酒匂の宿に送り、宗盛親子のみを鎌倉に入れる。義経には小山朝光を使者として送り、許可無く鎌倉へ入る事を許さず、その場に逗留し呼び出しに従うように命じた。義経が鎌倉入りを許されず京都へ戻る道中の6月21日、近江国篠原の宿で義経の命により景光が平清宗を斬る。同年11月3日、頼朝と対立し、都を落ちる義経に同行。九州へ向かう船が暴風雨によって難破し義経一行が離散した時も、武蔵坊弁慶、源有綱、静御前と共に義経の身辺にあった。文治2年(1186年)9月20日、都に潜んでいた景光は、鎌倉の御家人・糟屋有季に捕縛される。景光の自白により義経が奈良の興福寺に潜んでいたこと、義経の使いとして藤原範季と連絡を取っていた事が発覚する(『玉葉』)。その最期については諸説があり、判然としない。
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