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  • 古義堂(こぎどう)は、江戸時代、1662年(寛文2年)京都の堀川出水下る(現、上京区東堀川通出水下ル)に、伊藤仁斎がその生家で開いた儒学を教える家塾。長子の東涯以下、代々その子があとを引き継いで、別名堀川学校ともいわれた。仁斎は終生いずれの藩にも仕官せず、町の学者としてその生涯を全うした。その塾生数、仁斎の教えただけでも3,000人を数えたともいう。当時、京都を代表する私塾としてその名も高く、1842年(天保13年)には松永家の講習堂と共に町奉行所から表彰を受けたこともある。古義堂の蔵書、書画など約5,500点、約1万冊は、1941年(昭和16年)に天理大学附属天理図書館に所蔵され、『古義堂文庫目録』(天理大学出版部、1956年)として整理され、特別文庫の中に所蔵、公開されている。跡地が「伊藤仁斎宅(古義堂)跡ならびに書庫」として国の史跡に指定されている。
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  • 古義堂(こぎどう)は、江戸時代、1662年(寛文2年)京都の堀川出水下る(現、上京区東堀川通出水下ル)に、伊藤仁斎がその生家で開いた儒学を教える家塾。長子の東涯以下、代々その子があとを引き継いで、別名堀川学校ともいわれた。仁斎は終生いずれの藩にも仕官せず、町の学者としてその生涯を全うした。その塾生数、仁斎の教えただけでも3,000人を数えたともいう。当時、京都を代表する私塾としてその名も高く、1842年(天保13年)には松永家の講習堂と共に町奉行所から表彰を受けたこともある。古義堂の蔵書、書画など約5,500点、約1万冊は、1941年(昭和16年)に天理大学附属天理図書館に所蔵され、『古義堂文庫目録』(天理大学出版部、1956年)として整理され、特別文庫の中に所蔵、公開されている。跡地が「伊藤仁斎宅(古義堂)跡ならびに書庫」として国の史跡に指定されている。
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