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  • 北条 氏隆(ほうじょう うじたか、生年未詳 - 慶長14年(1609年))は、戦国時代の人物。北条氏信(北条綱重)の嫡男で、母は西園寺公朝の娘。北条幻庵の孫にあたる。妻は出自不明の東光院殿。幼名は菊千代、輩行名は彦太郎。相模国久野城(小田原市)城主。永禄12年(1569年)に父・氏信が、武田氏の駿河侵攻で戦死したため、上杉謙信の養子となった北条三郎(上杉景虎)に代わり、幻庵の後を継ぐ。小田原征伐による後北条氏没落後は、北条氏直に従って高野山へ赴いた。その後に高松藩丸亀城の生駒氏に仕えた後、出家して鈞庵宗仙と称し、京都に在住していたことが、板部岡江雪斎らとの書状から判明している。慶長14年(1609年)に死去、法号は養靏院殿松壡仙公居士。娘は正木頼忠に嫁ぎ(北条氏尭の娘とも)、徳川家康の側室で頼宣・頼房の生母にあたる養珠院(お万の方)、三浦為春らを生んだ。
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  • 北条 氏隆(ほうじょう うじたか、生年未詳 - 慶長14年(1609年))は、戦国時代の人物。北条氏信(北条綱重)の嫡男で、母は西園寺公朝の娘。北条幻庵の孫にあたる。妻は出自不明の東光院殿。幼名は菊千代、輩行名は彦太郎。相模国久野城(小田原市)城主。永禄12年(1569年)に父・氏信が、武田氏の駿河侵攻で戦死したため、上杉謙信の養子となった北条三郎(上杉景虎)に代わり、幻庵の後を継ぐ。小田原征伐による後北条氏没落後は、北条氏直に従って高野山へ赴いた。その後に高松藩丸亀城の生駒氏に仕えた後、出家して鈞庵宗仙と称し、京都に在住していたことが、板部岡江雪斎らとの書状から判明している。慶長14年(1609年)に死去、法号は養靏院殿松壡仙公居士。娘は正木頼忠に嫁ぎ(北条氏尭の娘とも)、徳川家康の側室で頼宣・頼房の生母にあたる養珠院(お万の方)、三浦為春らを生んだ。
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  • 北条氏隆
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