今村 慶満(いまむら よしみつ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。三好氏の家臣。今村政次の兄あるいは父。通称は源介、紀伊守。慶満の属する今村氏は渋谷越を中心とした流通に基盤を置き、天文から永禄期(1532―1570)にかけて活動した。弟あるいは子の今村政次は山科から渋谷越を通り洛中に至る経路について塩や塩合物を中心に扱っていた問屋で、一帯の通行に特権を有していたらしい。今宮明は、慶満は三好一族や松永氏を除けば三好政権中の最も有力な被官であったとしている。天文19年(1550年)には小泉秀清とともに細川晴元方の軍勢と戦っている。天文22年(1553年)には、山科や粟田口周辺に出現した六角方の軍勢を撃退したり、将軍方の松田監物や礒谷氏らの籠城する東山霊山城を陥落させたりしている。慶満は各地の押領を行い、特に「汁谷口」(渋谷口)を含むと思われる内蔵寮率分関を押領したことが有名である。さらに東寺領の柳原・西九条の散所や声聞師村との関連が窺われ、被差別民に対して何らかの権益を保持していたと思われる。今村氏はまた、渋谷越とさほど離れていず、大和大路を押さえる位置に、今村城という城郭を有していたとされ、また渋谷越付近にある阿弥陀ヶ峰城を使用した可能性もある。
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