仁科 盛信(にしな もりのぶ)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。甲斐国の戦国大名・武田信玄の五男。母は油川信守の娘で側室の油川夫人。異母兄に武田義信・武田勝頼、同母の弟妹に葛山信貞・松姫(織田信忠婚約者)・菊姫(上杉景勝正室)がいる。信濃国安曇郡の国人領主である仁科氏を継承し、武田親族衆に列する。勝頼末期に織田信長の甲州征伐に際して一族・重臣の逃亡や寝返りが続く中、高遠城において最後まで抵抗し、討死した。諱は盛信のほか、近世の系図類・編纂物では「晴近」とする資料もあるが、信玄が将軍足利義晴から授与された「晴」の偏諱を授与することは社会通念上ありえないことから、疑問視されている。また、天正9年(1581年)5月7日付霊松寺宛禁制や『甲乱記』では「信盛」とする用例があり、天正9年2月から同年5月の間に、高遠入城を契機に改名した可能性が考えられている。
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