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  • 京都所司代(きょうとしょしだい)は、織田信長が1568年(永禄11年)に足利義昭を擁して上洛し、京都を支配下に置いたとき、室町幕府の機構を踏襲し、家臣の村井貞勝を京都の治安維持のために置いた機関。貞勝は1582年(天正10年)6月2日、明智光秀が信長を殺した本能寺の変のとき、信長の嫡男・織田信忠と共に二条城で討死してしまった。信長の死後、豊臣秀吉が京都を支配下に置いたときは、桑原貞成、杉原家次、浅野長政(この3名は、いずれも1582年(天正10年)から1583年(天正11年)の短期間)、その後前田玄以が京都所司代を務めている。1594年(文禄3年)頃には石田三成・増田長盛両名に交替している(同年8月近衛信輔あて近衛前久書簡・陽明文庫所蔵)。これらは室町幕府の職名を踏襲したものである。江戸時代に京都の治安維持の任務にあたった部署である。本項ではこちらを中心に記述する。
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  • 京都所司代(きょうとしょしだい)は、織田信長が1568年(永禄11年)に足利義昭を擁して上洛し、京都を支配下に置いたとき、室町幕府の機構を踏襲し、家臣の村井貞勝を京都の治安維持のために置いた機関。貞勝は1582年(天正10年)6月2日、明智光秀が信長を殺した本能寺の変のとき、信長の嫡男・織田信忠と共に二条城で討死してしまった。信長の死後、豊臣秀吉が京都を支配下に置いたときは、桑原貞成、杉原家次、浅野長政(この3名は、いずれも1582年(天正10年)から1583年(天正11年)の短期間)、その後前田玄以が京都所司代を務めている。1594年(文禄3年)頃には石田三成・増田長盛両名に交替している(同年8月近衛信輔あて近衛前久書簡・陽明文庫所蔵)。これらは室町幕府の職名を踏襲したものである。江戸時代に京都の治安維持の任務にあたった部署である。本項ではこちらを中心に記述する。
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  • 京都所司代
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