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  • 与多王(よたのおおきみ、生没年不詳)は、飛鳥時代の皇族。弘文天皇(大友皇子)の皇子。大友与多王ともいう。園城寺(三井寺)の開基とされる伝承的人物。三井寺の伝承によれば、朱鳥元年(686年)、与多王は父の菩提を弔うため自らの「田園城邑(田畑屋敷)」を投げ打ち寺の建立を発願し、天武天皇は「園城寺」の勅額を与えたとされる。与多王は日本書紀には名が見られないが、『本朝皇胤紹運録』に「大友皇子-与多王(大友賜姓)-都堵牟麿-黒主」との系図を掲げるほか、大津市内の神社の祭神、寺院の古伝、古墳の被葬者の伝承などにその名が伝わる。大友氏は近江国滋賀郡の渡来系豪族であり、大友皇子の資養氏族と考えられ、与多王の子孫を称するなど伝承に深くかかわったものと思われる。
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  • 与多王(よたのおおきみ、生没年不詳)は、飛鳥時代の皇族。弘文天皇(大友皇子)の皇子。大友与多王ともいう。園城寺(三井寺)の開基とされる伝承的人物。三井寺の伝承によれば、朱鳥元年(686年)、与多王は父の菩提を弔うため自らの「田園城邑(田畑屋敷)」を投げ打ち寺の建立を発願し、天武天皇は「園城寺」の勅額を与えたとされる。与多王は日本書紀には名が見られないが、『本朝皇胤紹運録』に「大友皇子-与多王(大友賜姓)-都堵牟麿-黒主」との系図を掲げるほか、大津市内の神社の祭神、寺院の古伝、古墳の被葬者の伝承などにその名が伝わる。大友氏は近江国滋賀郡の渡来系豪族であり、大友皇子の資養氏族と考えられ、与多王の子孫を称するなど伝承に深くかかわったものと思われる。
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  • 与多王
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