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  • 三田渡の盟約(さんでんとのめいやく)は、清と李氏朝鮮との間で行われた丙子の役の終戦講和条約である。1637年1月30日に李氏朝鮮の首都漢城の郊外三田渡(現ソウル特別市松坡区蚕室洞)で締結された。この記念に大清皇帝功徳碑が建てられた。李氏朝鮮は、初代国王である李成桂が1393年に明の初代皇帝朱元璋から権知朝鮮国事(朝鮮国代官)に封ぜられて以降、一貫して明の属国であり続けたが、三田渡の盟約をもって、明の属国から清の属国へとかわった。1895年4月17日に締結された日清戦争後の講和会議である下関条約まで、李氏朝鮮は清の属国であり続けた。毎年上納される物品の量はその後減らされたものの、三田渡の盟約の大枠は1895年まで守られ続けた。
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  • 三田渡の盟約(さんでんとのめいやく)は、清と李氏朝鮮との間で行われた丙子の役の終戦講和条約である。1637年1月30日に李氏朝鮮の首都漢城の郊外三田渡(現ソウル特別市松坡区蚕室洞)で締結された。この記念に大清皇帝功徳碑が建てられた。李氏朝鮮は、初代国王である李成桂が1393年に明の初代皇帝朱元璋から権知朝鮮国事(朝鮮国代官)に封ぜられて以降、一貫して明の属国であり続けたが、三田渡の盟約をもって、明の属国から清の属国へとかわった。1895年4月17日に締結された日清戦争後の講和会議である下関条約まで、李氏朝鮮は清の属国であり続けた。毎年上納される物品の量はその後減らされたものの、三田渡の盟約の大枠は1895年まで守られ続けた。
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  • 三田渡の盟約
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