Data Table
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  • フォークランド沖海戦(Battle of the Falkland Islands)は第一次世界大戦中にアルゼンチン近くの英領フォークランド諸島沖でドイツ海軍とイギリス海軍が戦った海戦。コロネル沖海戦で敗北したイギリス海軍は、スターディー中将を南大西洋・太平洋方面艦隊司令長官に任じ、巡洋戦艦インヴィンシブル、インフレキシブルがその指揮下に入った。1914年10月9日、インヴィンシブルとインフレキシブルはサー・ダブトン・スタディー中将の将旗を掲げ、11日16時45分あわただしくフォークランド諸島を目指した。一方のシュペー隊はコロネル沖海戦後に石炭不足、機関の不調などから大西洋に進出するのが遅れ、破滅の道をたどる事になる。11月11日、両艦は出港し、装甲巡洋艦モンマス級「 コーンウォール」「ケント」、デヴォンシャー級「カーナヴォン」、タウン級軽巡洋艦「ブリストル」、「グラスゴー」、仮装巡洋艦「マセドニア(Macedonia)」と合流しつつ、12月7日にフォークランド諸島ポート・スタンリーに到着した。一方、シュペー中将指揮するドイツ東洋艦隊はコロネル沖海戦後、本国からの帰還命令を受けたものの燃料及び弾薬の慢性的な不足に苦しんでいた。12月近くになり、シュペー中将はホーン岬を通って大西洋に入り、フォークランド諸島を襲撃することにした。12月8日、フォークランド諸島の見張所が接近する装甲巡洋艦グナイゼナウ、軽巡洋艦ニュルンベルクを発見した。これを受けて8時30分にカーナヴォンとケントがまず出港した。9時15分には前弩級戦艦カノーパスが砲撃を開始し、ドイツ艦2隻は反転した。シュペー中将は艦隊をまとめ逃走に入った。10時には故障したブリストル以外が出港し、シュペー艦隊を追撃した。このあとスタディー隊は着替えと昼食をとり、12時55分、インフレキシブルが防護巡洋艦ライプツィヒに対し砲撃を開始した。シュペー中将は防護巡洋艦3隻を逃がすため13時25分に分離した。スターディー中将はこれを軽巡洋艦に追撃させ、ドイツの装甲巡2隻に、巡戦2隻で対した。装甲巡と巡戦では圧倒的に巡戦が優勢であり、スタディー隊は約10ノットの優速をもって自在に距離を伸縮しつつ敵艦をアウトレンジし、16時17分に装甲巡洋艦シャルンホルストは撃沈されシュペー中将も戦死した。グナイゼナウも17時40分に自沈した。脱出したグナイゼナウの乗員のうち約200人が救助されたが低体温症で一部が死亡し、結局187人が生還した。イギリスの巡洋艦はドイツの防護巡洋艦を追撃し、16時15分にグラスゴーとコーンウォールはライプツィヒを捕捉した。ライプツィヒは20時35分に撃沈された。また、ニュルンベルクもケントの攻撃で撃沈された。唯一、防護巡洋艦ドレスデンだけは逃走に成功したが、1915年3月14日にチリ沖でイギリス艦隊に発見され、自沈した。海戦自体には圧倒的な速力を背景に勝利できたものの、スターディー中将と旗艦カーナーヴォンのアーチボルド・ストッダート提督は手際の悪さとドレスデンを逃がしたことなどが問題とされ、以降不遇をかこつこととなった。
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  • border|25pxイギリス海軍
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  • チリから出航するシュペー艦隊
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  • イギリスの勝利
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  • 巡洋戦艦2、装甲巡洋艦3、軽巡洋艦1
  • 装甲巡洋艦2、防護巡洋艦3
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  • フォークランド沖海戦
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  • 第一次世界大戦の海戦
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  • チリから出航するシュペー艦隊
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  • 沈没艦なし
  • 装甲巡洋艦2、防護巡洋艦2沈没
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  • フォークランド沖海戦(Battle of the Falkland Islands)は第一次世界大戦中にアルゼンチン近くの英領フォークランド諸島沖でドイツ海軍とイギリス海軍が戦った海戦。コロネル沖海戦で敗北したイギリス海軍は、スターディー中将を南大西洋・太平洋方面艦隊司令長官に任じ、巡洋戦艦インヴィンシブル、インフレキシブルがその指揮下に入った。1914年10月9日、インヴィンシブルとインフレキシブルはサー・ダブトン・スタディー中将の将旗を掲げ、11日16時45分あわただしくフォークランド諸島を目指した。一方のシュペー隊はコロネル沖海戦後に石炭不足、機関の不調などから大西洋に進出するのが遅れ、破滅の道をたどる事になる。11月11日、両艦は出港し、装甲巡洋艦モンマス級「 コーンウォール」「ケント」、デヴォンシャー級「カーナヴォン」、タウン級軽巡洋艦「ブリストル」、「グラスゴー」、仮装巡洋艦「マセドニア(Macedonia)」と合流しつつ、12月7日にフォークランド諸島ポート・スタンリーに到着した。一方、シュペー中将指揮するドイツ東洋艦隊はコロネル沖海戦後、本国からの帰還命令を受けたものの燃料及び弾薬の慢性的な不足に苦しんでいた。12月近くになり、シュペー中将はホーン岬を通って大西洋に入り、フォークランド諸島を襲撃することにした。12月8日、フォークランド諸島の見張所が接近する装甲巡洋艦グナイゼナウ、軽巡洋艦ニュルンベルクを発見した。これを受けて8時30分にカーナヴォンとケントがまず出港した。9時15分には前弩級戦艦カノーパスが砲撃を開始し、ドイツ艦2隻は反転した。シュペー中将は艦隊をまとめ逃走に入った。10時には故障したブリストル以外が出港し、シュペー艦隊を追撃した。このあとスタディー隊は着替えと昼食をとり、12時55分、インフレキシブルが防護巡洋艦ライプツィヒに対し砲撃を開始した。シュペー中将は防護巡洋艦3隻を逃がすため13時25分に分離した。スターディー中将はこれを軽巡洋艦に追撃させ、ドイツの装甲巡2隻に、巡戦2隻で対した。装甲巡と巡戦では圧倒的に巡戦が優勢であり、スタディー隊は約10ノットの優速をもって自在に距離を伸縮しつつ敵艦をアウトレンジし、16時17分に装甲巡洋艦シャルンホルストは撃沈されシュペー中将も戦死した。グナイゼナウも17時40分に自沈した。脱出したグナイゼナウの乗員のうち約200人が救助されたが低体温症で一部が死亡し、結局187人が生還した。イギリスの巡洋艦はドイツの防護巡洋艦を追撃し、16時15分にグラスゴーとコーンウォールはライプツィヒを捕捉した。ライプツィヒは20時35分に撃沈された。また、ニュルンベルクもケントの攻撃で撃沈された。唯一、防護巡洋艦ドレスデンだけは逃走に成功したが、1915年3月14日にチリ沖でイギリス艦隊に発見され、自沈した。海戦自体には圧倒的な速力を背景に勝利できたものの、スターディー中将と旗艦カーナーヴォンのアーチボルド・ストッダート提督は手際の悪さとドレスデンを逃がしたことなどが問題とされ、以降不遇をかこつこととなった。
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  • フォークランド沖海戦
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  • フォークランド沖海戦
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