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  • パット・キャッシュ(Pat Cash, 1965年5月27日 - )は、オーストラリア・メルボルン出身の元男子プロテニス選手。1987年のウィンブルドン男子シングルス優勝者である。自己最高ランキングはシングルス4位、ダブルス6位。ATPツアーで1987年ウィンブルドンを含むシングルス7勝、ダブルス12勝を挙げる。右利き。強靭なリスト(手首)を生かしたバックハンド・ストロークを特徴とした。フルネームは Patrick Hart Cash (パトリック・ハート・キャッシュ)という。1982年にプロ入り。1984年から頭角を現し始め、ウィンブルドンと全米オープンの2大会連続でベスト4に入る。ウィンブルドンでは、シングルス準決勝でジョン・マッケンローに 3-6, 6-7, 4-6 のストレートで敗れ、男子ダブルスでは同じオーストラリアの先輩ポール・マクナミーとのペアで決勝に勝ち進んだが、マッケンローとピーター・フレミングの組に 2-6, 7-5, 2-6, 6-3, 3-6 のフルセットで惜敗した。この大会では、19歳のキャッシュは単複ともマッケンローに道を阻まれたことになる。続く全米オープンでは、キャッシュは準々決勝でマッツ・ビランデルを破った後、初めての準決勝でイワン・レンドルと最終第5セットのタイブレークまで戦い、結局 6-3, 3-6, 4-6, 7-6, 6-7 のスコアで競り負けた。1987年のウィンブルドン男子シングルス決勝で、キャッシュはイワン・レンドルを 7-6, 6-2, 7-5 のストレートで破り、オーストラリア人の男子テニス選手として1973年のジョン・ニューカム以来「14年ぶり」のウィンブルドン優勝を成し遂げた。優勝を決めた瞬間、キャッシュはセンター・コートから観客席へ駆け上がり、コーチや家族と抱き合って喜びを表現した。レンドルは前年の1986年ウィンブルドン決勝でもボリス・ベッカーに敗れたため、同選手権で2年連続の準優勝に終わった。これがレンドルにとっては最後のチャンスになり、“聖地”ウィンブルドンは最後まで彼の“鬼門”として残った。その道を阻んだ選手がキャッシュである。キャッシュは地元の全豪オープンで、1987年と1988年の2年連続準優勝に終わっている。1987年はステファン・エドベリ、1988年はマッツ・ビランデルに敗れ、2度ともスウェーデン勢に全豪の地元優勝を阻まれた。キャッシュは1987年に新しくオープンした、メルボルン市のナショナル・テニスセンターのハードコートで初代優勝者のチャンスを逃した。パット・キャッシュは男子テニス国別対抗戦・デビスカップのオーストラリア代表選手としても、1983年から1990年まで8年連続で出場し、1983年と1986年の2度オーストラリア・チームの優勝に貢献した。とりわけ、1986年の「ワールドグループ」決勝でのスウェーデン戦ではキャッシュが出場3試合すべてに勝利を収め、第4試合では当年度の全仏オープン準優勝者になったミカエル・ペルンフォルスを 2-6, 4-6, 6-3, 6-4, 6-3 の逆転で破った。当時のデ杯オーストラリア代表監督だったニール・フレーザーは、この第4試合を「デビスカップにおけるオーストラリア最高の試合」(Best Aussie Cup performance)と賞賛した。キャッシュは当時の男子プロテニス界でも、最もいたずら好きなキャラクターだったという。1992年に27歳で現役を引退。現在は同じオーストラリアの後輩でもマーク・フィリプーシスと行動をともにすることが多い。ごく最近、新しく「パット・キャッシュ・テニスアカデミー」を設立した。
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  • 片手打ち
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  • Patrick Hart Cash
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  • 準優勝(1987・88)
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  • 同・メルボルン
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  • パット・キャッシュ
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  • Pat Cash
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  • パット・キャッシュ(Pat Cash, 1965年5月27日 - )は、オーストラリア・メルボルン出身の元男子プロテニス選手。1987年のウィンブルドン男子シングルス優勝者である。自己最高ランキングはシングルス4位、ダブルス6位。ATPツアーで1987年ウィンブルドンを含むシングルス7勝、ダブルス12勝を挙げる。右利き。強靭なリスト(手首)を生かしたバックハンド・ストロークを特徴とした。フルネームは Patrick Hart Cash (パトリック・ハート・キャッシュ)という。1982年にプロ入り。1984年から頭角を現し始め、ウィンブルドンと全米オープンの2大会連続でベスト4に入る。ウィンブルドンでは、シングルス準決勝でジョン・マッケンローに 3-6, 6-7, 4-6 のストレートで敗れ、男子ダブルスでは同じオーストラリアの先輩ポール・マクナミーとのペアで決勝に勝ち進んだが、マッケンローとピーター・フレミングの組に 2-6, 7-5, 2-6, 6-3, 3-6 のフルセットで惜敗した。この大会では、19歳のキャッシュは単複ともマッケンローに道を阻まれたことになる。続く全米オープンでは、キャッシュは準々決勝でマッツ・ビランデルを破った後、初めての準決勝でイワン・レンドルと最終第5セットのタイブレークまで戦い、結局 6-3, 3-6, 4-6, 7-6, 6-7 のスコアで競り負けた。1987年のウィンブルドン男子シングルス決勝で、キャッシュはイワン・レンドルを 7-6, 6-2, 7-5 のストレートで破り、オーストラリア人の男子テニス選手として1973年のジョン・ニューカム以来「14年ぶり」のウィンブルドン優勝を成し遂げた。優勝を決めた瞬間、キャッシュはセンター・コートから観客席へ駆け上がり、コーチや家族と抱き合って喜びを表現した。レンドルは前年の1986年ウィンブルドン決勝でもボリス・ベッカーに敗れたため、同選手権で2年連続の準優勝に終わった。これがレンドルにとっては最後のチャンスになり、“聖地”ウィンブルドンは最後まで彼の“鬼門”として残った。その道を阻んだ選手がキャッシュである。キャッシュは地元の全豪オープンで、1987年と1988年の2年連続準優勝に終わっている。1987年はステファン・エドベリ、1988年はマッツ・ビランデルに敗れ、2度ともスウェーデン勢に全豪の地元優勝を阻まれた。キャッシュは1987年に新しくオープンした、メルボルン市のナショナル・テニスセンターのハードコートで初代優勝者のチャンスを逃した。パット・キャッシュは男子テニス国別対抗戦・デビスカップのオーストラリア代表選手としても、1983年から1990年まで8年連続で出場し、1983年と1986年の2度オーストラリア・チームの優勝に貢献した。とりわけ、1986年の「ワールドグループ」決勝でのスウェーデン戦ではキャッシュが出場3試合すべてに勝利を収め、第4試合では当年度の全仏オープン準優勝者になったミカエル・ペルンフォルスを 2-6, 4-6, 6-3, 6-4, 6-3 の逆転で破った。当時のデ杯オーストラリア代表監督だったニール・フレーザーは、この第4試合を「デビスカップにおけるオーストラリア最高の試合」(Best Aussie Cup performance)と賞賛した。キャッシュは当時の男子プロテニス界でも、最もいたずら好きなキャラクターだったという。1992年に27歳で現役を引退。現在は同じオーストラリアの後輩でもマーク・フィリプーシスと行動をともにすることが多い。ごく最近、新しく「パット・キャッシュ・テニスアカデミー」を設立した。
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  • パット・キャッシュ
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