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  • バイバルス・アル=ブンドクダーリー(アラビア語: الملك الظاهر ركن الدين بيبرس بندقداري ‎ al-Malik al-Zāhir Rukn al-Dīn Baybars al-Bunduqdārī, 1223年/28年/33年 - 1277年6月30日7月1日)は、マムルーク朝(バフリー・マムルーク朝)の第5代スルターン(君主。在位:1260年-1277年)。在位中の事績から実質的なマムルーク朝の建国者と評価されることもある。即位名によりアッ=ザーヒル・バイバルス(アラビア語: الملك الظاهر بيبرس ‎ al-Malik al-Zāhir Baybars)とも呼ばれる。マムルーク(軍人奴隷)としてエジプトのアイユーブ朝に仕え、1250年のマンスーラの戦いでエジプトに侵入した十字軍に大勝を収める。1260年のアイン・ジャールートの戦いではモンゴル軍に勝利し、モンゴルのエジプトへの進出を阻止した。戦後、マムルーク朝のスルターン・ムザッファル・クトゥズを殺害して王位に就き、全シリアを併合する。バイバルスの軍事的・政治的な能力により、外部勢力の侵入に反応して成立したマムルークたちの政権は確固たるものとなった。バイバルスは優れた精神力と体力の持ち主であり、17年にわたる在位中に38回のシリア遠征を実施し、うちモンゴル軍と9回、十字軍と21回にわたって交戦した。38回の遠征において、その半分はバイバルス自身が陣頭で指揮を執っていた。華々しい戦績のためにバイバルスは英雄としてアラブ世界に名前を遺し、ハールーン・アッ=ラシードやサラディンと並ぶ英雄として知られている。バイバルスの英雄譚は説話文学に昇華され、マムルーク朝後期からオスマン帝国期にかけての時期に現存する物語の形式が成立する。バイバルスの活躍を鮮やかに描いた物語は、語り部(カーッス)を通して民衆を魅了した。
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prop-ja:人名
  • バイバルス1世
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  • アル=マリク・アッ=ザーヒル・ルクンッディーン・バイバルス・アル=ブンドクダーリー
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prop-ja:各国語表記
  • الملك الظاهر ركن الدين بيبرس بندقداري
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  • マムルーク朝スルターン
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  • --07-01
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  • ダマスカス
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  • --06-30
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  • バイバルス家
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prop-ja:画像説明
  • バイバルスが使用したライオンの紋章
prop-ja:配偶者
  • dbpedia-ja:クルド人
  • モンゴル系のアミール・ノカーイの娘
  • ベルケ(バラカ)・ハーンの娘
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  • バイバルス・アル=ブンドクダーリー(アラビア語: الملك الظاهر ركن الدين بيبرس بندقداري ‎ al-Malik al-Zāhir Rukn al-Dīn Baybars al-Bunduqdārī, 1223年/28年/33年 - 1277年6月30日7月1日)は、マムルーク朝(バフリー・マムルーク朝)の第5代スルターン(君主。在位:1260年-1277年)。在位中の事績から実質的なマムルーク朝の建国者と評価されることもある。即位名によりアッ=ザーヒル・バイバルス(アラビア語: الملك الظاهر بيبرس ‎ al-Malik al-Zāhir Baybars)とも呼ばれる。マムルーク(軍人奴隷)としてエジプトのアイユーブ朝に仕え、1250年のマンスーラの戦いでエジプトに侵入した十字軍に大勝を収める。1260年のアイン・ジャールートの戦いではモンゴル軍に勝利し、モンゴルのエジプトへの進出を阻止した。戦後、マムルーク朝のスルターン・ムザッファル・クトゥズを殺害して王位に就き、全シリアを併合する。バイバルスの軍事的・政治的な能力により、外部勢力の侵入に反応して成立したマムルークたちの政権は確固たるものとなった。バイバルスは優れた精神力と体力の持ち主であり、17年にわたる在位中に38回のシリア遠征を実施し、うちモンゴル軍と9回、十字軍と21回にわたって交戦した。38回の遠征において、その半分はバイバルス自身が陣頭で指揮を執っていた。華々しい戦績のためにバイバルスは英雄としてアラブ世界に名前を遺し、ハールーン・アッ=ラシードやサラディンと並ぶ英雄として知られている。バイバルスの英雄譚は説話文学に昇華され、マムルーク朝後期からオスマン帝国期にかけての時期に現存する物語の形式が成立する。バイバルスの活躍を鮮やかに描いた物語は、語り部(カーッス)を通して民衆を魅了した。
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  • バイバルス
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