Data Table
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  • スティーブ・バックリー (Stephen James ("Steve") Backley、1969年2月12日 - )は、イギリスの陸上競技選手である。1990年代から2000年代にかけ非常に息の長い活躍をしたやり投選手である。彼は、1992年バルセロナオリンピックから3大会連続でメダルを獲得している。バックリーは、1987年にバーミンガムで開催されたヨーロッパジュニア陸上で75m14の記録で優勝し、国際舞台での初のタイトルを獲得する。また、翌年の1988年の世界ジュニア陸上選手権では75m40の記録を出し、銀メダルを獲得している。1989年にはユニバーシアードとグランプリファイナルに優勝するまで成長している。バルセロナで開催されたワールドカップ陸上では85m90の記録を出し、英連邦新記録を樹立した。1990年に開催されたコモンウェルスゲームズではさらに記録を伸ばし、86m02の記録し、余裕で金メダルを獲得した。また、この年にパトリック・ボーデンが持っていた89m10の世界記録を破り、自身初となる89m58の世界記録を樹立している。この世界記録は約2週間後に「ネメトのやり」を使用したチェコスロバキアのヤン・ゼレズニーが89m66を出し、破られる。しかし翌週、ゼレズニーからやりを借りて出場した試合で90m98を出し、再度世界記録保持者となった。8月に開催されたヨーロッパ陸上選手権では、ゼレズニーが決勝に進めなかったため、2位に4mの差をつけ、金メダルを獲得した。1991年のシーズンの最初に、バックリーはフィンランドのセポ・ラテュによって自身の世界記録を破られる。彼もまた「ネメトのやり」を使用し世界記録を樹立したものであった。しかし、東京で開催される世界陸上の直前に、この新型のやりの使用は違反であると判断され、使用を禁止された。そのため、このやりを使用して作られた記録は抹消され、世界記録は前年にバックリーが出した89m58に戻されることとなった。このやりの規格の変更によってか、バックリーはゼレズニーとともに世界陸上では予選落ちという結果に終わっている。1992年1月に、バックリーは91m46の世界新記録を樹立した。その年に開催されたバルセロナオリンピックでは、右太もものけがに悩まされ、銅メダルを獲得するに留まっている。1993年はずっとけがに悩まされ、2位に終わったロンドンで開催されたグランプリシリーズと、4位に終わった世界陸上の2試合しか出場していない。なお、この年、彼の世界記録もゼレズニーによって破られている。1994年にけがから復帰したバックリーは、同年のヨーロッパ陸上選手権でラテュ、ゼレズニーをおさえ、2大会連続の金メダルを獲得した。また、コモンウェルスゲームズでも1990年に続き男子やり投選手として初の2大会連続の金メダルを獲得した。またワールドカップ陸上でも優勝している。1995年の世界陸上では86m30を投げ、ゼレズニーについで銀メダルに輝いている。1996年のシーズンは、バックリーは怪我により十分に活躍できないシーズンであったが、アトランタオリンピックでは、すばらしい闘志を見せゼレズニーと競り合い87m44で銀メダルを獲得した。1997年のシーズンの初めに、1992年以来の89mスローを見せ、好スタートを切ったが、世界陸上では、86m80を投げ、銀メダルを獲得するにとどまっている。金メダルは、番狂わせが起こり、88m40を投げた南アフリカのマリウス・コルベットが獲得した。1998年のヨーロッパ陸上選手権では、予選から87m45の大会新記録を樹立するほど好調で、2日後の決勝でもさらに記録を更新し、89m72で大会3連覇を飾った。しかし、同じく3連覇を狙ったコモンウェルスゲームズでは、コルベットに敗れ銀メダルに終わっている。1999年の2月に30歳をむかえたバックリーであるが、7月のAAA選手権を連覇し年を感じさせない活躍をしていた。しかし、8月の世界陸上では9位という結果に終わる。ライバルのゼレズニーも3位という結果に終わり、1990年代に君臨した両雄の時代は幕を閉じるかに思われた。しかし、2000年のシドニーオリンピックでは、バックリーはゼレズニーとともにすばらしい活躍を見せた。バックリーは2投目にシーズンベストの89m85を投げると、ゼレズニーも3投目にオリンピック新記録の90m17の投てきを見せる。結局この投てきによりゼレズニーはオリンピック3連覇を果たす。そしてバックリーは銀メダルを獲得した。バックリーはイギリスの陸上選手としてはじめての3大会連続の表彰台に立つこととなった。2001年のシーズンは、7月に90m81を投げている。これほどの記録を出すのは1992年に91m46の当時の世界記録を樹立して以来のことであった。しかし世界陸上では予選で81m50しか投げられず予選落ちとなる。グランプリファイナルでも4位という結果に終わっている。2002年、33歳になったバックリーは衰えを感じさせないシーズンであった。7月のコモンウェルスゲームズでは、86m81を投げ、2位に8m近い大差をつけ、4大会連続の表彰台そして2大会ぶり3回目の金メダルを獲得した。8月のヨーロッパ陸上選手権では、シーズン好調だったロシアのセルゲイ・マカロフが1投目に88m05を出したのに対し、バックリーは5投目で88m54を出し逆転で金メダルを獲得した。バックリーはヨーロッパ陸上選手権で4大会連続の金メダルであり、これはソ連のヤーニス・ルーシスと、この大会で4連覇を達成したコリン・ジャクソンと並ぶ偉業である。2003年は、シーズンがはじまるとひざのけがが問題であったがいい結果を出していた。そのため、世界陸上でも期待されたが、予選を7位で通過したものの決勝では80m13という記録で3投までに8位にはいることができずに終わっている。2004年は、バックリーにとって最後のシーズンであった。4大会連続の出場となったアテネオリンピックでは、シーズンベストの84m13を出すも4位に終わる。4大会連続のメダルにはわずかに手が届かなかった。
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  • スティーブ・バックリー
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  • スティーブ・バックリー (Stephen James ("Steve") Backley、1969年2月12日 - )は、イギリスの陸上競技選手である。1990年代から2000年代にかけ非常に息の長い活躍をしたやり投選手である。彼は、1992年バルセロナオリンピックから3大会連続でメダルを獲得している。バックリーは、1987年にバーミンガムで開催されたヨーロッパジュニア陸上で75m14の記録で優勝し、国際舞台での初のタイトルを獲得する。また、翌年の1988年の世界ジュニア陸上選手権では75m40の記録を出し、銀メダルを獲得している。1989年にはユニバーシアードとグランプリファイナルに優勝するまで成長している。バルセロナで開催されたワールドカップ陸上では85m90の記録を出し、英連邦新記録を樹立した。1990年に開催されたコモンウェルスゲームズではさらに記録を伸ばし、86m02の記録し、余裕で金メダルを獲得した。また、この年にパトリック・ボーデンが持っていた89m10の世界記録を破り、自身初となる89m58の世界記録を樹立している。この世界記録は約2週間後に「ネメトのやり」を使用したチェコスロバキアのヤン・ゼレズニーが89m66を出し、破られる。しかし翌週、ゼレズニーからやりを借りて出場した試合で90m98を出し、再度世界記録保持者となった。8月に開催されたヨーロッパ陸上選手権では、ゼレズニーが決勝に進めなかったため、2位に4mの差をつけ、金メダルを獲得した。1991年のシーズンの最初に、バックリーはフィンランドのセポ・ラテュによって自身の世界記録を破られる。彼もまた「ネメトのやり」を使用し世界記録を樹立したものであった。しかし、東京で開催される世界陸上の直前に、この新型のやりの使用は違反であると判断され、使用を禁止された。そのため、このやりを使用して作られた記録は抹消され、世界記録は前年にバックリーが出した89m58に戻されることとなった。このやりの規格の変更によってか、バックリーはゼレズニーとともに世界陸上では予選落ちという結果に終わっている。1992年1月に、バックリーは91m46の世界新記録を樹立した。その年に開催されたバルセロナオリンピックでは、右太もものけがに悩まされ、銅メダルを獲得するに留まっている。1993年はずっとけがに悩まされ、2位に終わったロンドンで開催されたグランプリシリーズと、4位に終わった世界陸上の2試合しか出場していない。なお、この年、彼の世界記録もゼレズニーによって破られている。1994年にけがから復帰したバックリーは、同年のヨーロッパ陸上選手権でラテュ、ゼレズニーをおさえ、2大会連続の金メダルを獲得した。また、コモンウェルスゲームズでも1990年に続き男子やり投選手として初の2大会連続の金メダルを獲得した。またワールドカップ陸上でも優勝している。1995年の世界陸上では86m30を投げ、ゼレズニーについで銀メダルに輝いている。1996年のシーズンは、バックリーは怪我により十分に活躍できないシーズンであったが、アトランタオリンピックでは、すばらしい闘志を見せゼレズニーと競り合い87m44で銀メダルを獲得した。1997年のシーズンの初めに、1992年以来の89mスローを見せ、好スタートを切ったが、世界陸上では、86m80を投げ、銀メダルを獲得するにとどまっている。金メダルは、番狂わせが起こり、88m40を投げた南アフリカのマリウス・コルベットが獲得した。1998年のヨーロッパ陸上選手権では、予選から87m45の大会新記録を樹立するほど好調で、2日後の決勝でもさらに記録を更新し、89m72で大会3連覇を飾った。しかし、同じく3連覇を狙ったコモンウェルスゲームズでは、コルベットに敗れ銀メダルに終わっている。1999年の2月に30歳をむかえたバックリーであるが、7月のAAA選手権を連覇し年を感じさせない活躍をしていた。しかし、8月の世界陸上では9位という結果に終わる。ライバルのゼレズニーも3位という結果に終わり、1990年代に君臨した両雄の時代は幕を閉じるかに思われた。しかし、2000年のシドニーオリンピックでは、バックリーはゼレズニーとともにすばらしい活躍を見せた。バックリーは2投目にシーズンベストの89m85を投げると、ゼレズニーも3投目にオリンピック新記録の90m17の投てきを見せる。結局この投てきによりゼレズニーはオリンピック3連覇を果たす。そしてバックリーは銀メダルを獲得した。バックリーはイギリスの陸上選手としてはじめての3大会連続の表彰台に立つこととなった。2001年のシーズンは、7月に90m81を投げている。これほどの記録を出すのは1992年に91m46の当時の世界記録を樹立して以来のことであった。しかし世界陸上では予選で81m50しか投げられず予選落ちとなる。グランプリファイナルでも4位という結果に終わっている。2002年、33歳になったバックリーは衰えを感じさせないシーズンであった。7月のコモンウェルスゲームズでは、86m81を投げ、2位に8m近い大差をつけ、4大会連続の表彰台そして2大会ぶり3回目の金メダルを獲得した。8月のヨーロッパ陸上選手権では、シーズン好調だったロシアのセルゲイ・マカロフが1投目に88m05を出したのに対し、バックリーは5投目で88m54を出し逆転で金メダルを獲得した。バックリーはヨーロッパ陸上選手権で4大会連続の金メダルであり、これはソ連のヤーニス・ルーシスと、この大会で4連覇を達成したコリン・ジャクソンと並ぶ偉業である。2003年は、シーズンがはじまるとひざのけがが問題であったがいい結果を出していた。そのため、世界陸上でも期待されたが、予選を7位で通過したものの決勝では80m13という記録で3投までに8位にはいることができずに終わっている。2004年は、バックリーにとって最後のシーズンであった。4大会連続の出場となったアテネオリンピックでは、シーズンベストの84m13を出すも4位に終わる。4大会連続のメダルにはわずかに手が届かなかった。
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  • スティーブ・バックリー
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