ジョアン3世(João III, 1502年6月6日 - 1557年6月11日)は、ポルトガル王(在位:1521年 - 1557年)。「敬虔王」(Piedoso)と呼ばれる。マヌエル1世とカトリック両王(アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベル1世)の三女マリアの息子。父王の死去により19歳で王位を継承する。1536年、教皇パウルス3世の教書により、ポルトガルの異端審問所を設立した。1537年、コインブラ大学を創設する。イグナチオ・デ・ロヨラがイエズス会という新修道会を創設したことを耳にした王は、ポルトガル植民地内の異教徒へキリスト教を布教する宣教師を派遣してほしいと依頼した。ロヨラが推薦したのが、フランシスコ・ザビエルとシモン・ロドリゲスであった。こうしてザビエルはアジアへ赴くことになる。1557年、心臓麻痺で死去した。王妃カタリナ・デ・アウストリア(神聖ローマ皇帝カール5世すなわちスペイン王カルロス1世の妹)との間に9人、庶子2人がいたにもかかわらず、いずれも亡くなっており、五男ジョアン・マヌエルと姪ジョアナ・デ・アウストリアの息子でわずか3歳の孫セバスティアンが王位を継いだ。
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