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  • ジェームズ・モンロー(James Monroe、1758年4月28日 - 1831年7月4日)は、第5代アメリカ合衆国大統領。大統領職を1817年から1825年まで2期務めた。その任期は「好感情の時代」、すなわち党派抗争が比較的少なかった時代と、その後の1819年恐慌やミズーリ準州の合衆国加盟(州昇格)について激しい国を挙げての論争があった時代で特徴づけられる。この間にフロリダの獲得(1819年)、ミズーリ協定(1820年)と続き、アメリカ合衆国はアメリカ大陸におけるヨーロッパの干渉を容認しないとした、いわゆるモンロー主義を発表(1823年)したことで最も著名となった。モンローは建国の父として最後の世代であり、大統領を続けて輩出してバージニア王朝と言われた時代および共和主義者世代から大統領になったことでも最後の者だった。モンローはバージニア州ウェストモアランド郡に生まれ、アメリカ独立戦争に従軍した。1780年から1783年までトーマス・ジェファーソンについて法律を勉強し、1783年から1786には大陸会議(連合会議)の代議員になった。アメリカ合衆国憲法の批准を問うたバージニア会議では、反連邦党代議員として中央政府にあまりに大きな権限を与えすぎると主張して批准に反対した。それでもモンローは新しい連邦政府に積極的に関わり、1790年にはバージニア州からアメリカ合衆国上院議員に選出されて、ジェファーソンの一党(後の民主共和党)に加わった。バージニア州知事(1799年-1802年)として行政の経験を積み、フランスにおける外交官として1803年のルイジアナ買収交渉に貢献して国民的な名声を得た。米英戦争(1812年-1815年)ではジェームズ・マディスン大統領の下で国務長官および陸軍長官として重要な役割を演じた。1816年アメリカ合衆国大統領選挙では退勢著しかった連邦党からの抵抗もほとんど無く、選挙人投票の80%以上を獲得して大統領に当選した。大統領としてのモンローは党派的緊張を緩めようとして国内の巡行に出た。国家主義が盛り上がった時だったので何処に行っても歓迎され、党派の抗争は弱まり、「好感情の時代」が続いた。1819年恐慌が襲い、1820年にはミズーリ準州の加盟問題で国内が論争に巻き込まれた。それでも1820年アメリカ合衆国大統領選挙ではほとんど全会一致で再選された。1823年にはモンロー主義を発表し、これがアメリカ外交政策の規範になった。1825年に大統領職を辞すると財政的苦境に立たされた。1831年7月4日にニューヨーク市で死去した。ファーストレディを務めた妻のエリザベス・モンローは任期中に答礼訪問を廃止してワシントンD.C.の名士たちから激しい反発を受けた。
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