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  • シャルル・パスクワ(Charles Pasqua、1927年4月18日 - )は、フランスの政治家、実業家。第一次コアビタシオンのジャック・シラク内閣で1986年から1988年、第二次コアビタシオンのエドアール・バラデュール内閣で1993年から1995年の二度にわたり内務大臣を歴任した。コルシカ・カスヴェッキエ出身で警察官である父アンドレア、母フランソワーズ・リナルディとの間に、アルプ=マリティーム県グラースで生まれた。15才から、ナチス支配を嫌ってレジスタンス活動に加わっていた。大学で法律を学んだあと、酒販売のセールスマンから出発したたたき上げである。パスクワは、1968年に設立されたゴーリスト(ド・ゴール主義者)政党、共和国民主連合 Union des démocrates pour la République(UDR)に参加し、同党の警備・私兵組織である市民行動サービスService d'Action Civique(SAC)の創設にも関与した。その後、ジャック・シラクの顧問となり、1981年フランス大統領選挙では、シラク陣営で選挙対策にあたっている。内相を二度にわたり務め、特にバラデュール内閣時には治安の回復を図り、パスクワ法を制定し豪腕を発揮し、党内実力者の地位を築いた。パスクワは、シラクと政治行動を一にし、シラクを総裁とする共和国連合に参加し、さらにシラク内閣の内相を務めるなど関係を保ってきたが、正統的ゴーリストを自認するパスクワとシラクの間には次第に懸隔が広がっていった。1995年のフランス大統領選挙でついにシラクから離反し、バラデュール首相を支持、新党を結成した。バラデュールを擁立した大統領選挙は序盤において優勢であったものの、シラクと社会党第一書記のリオネル・ジョスパンの間に埋没し、バラデュールは3位に留まり、一敗地に塗れた。しかし、1999年欧州懐疑論者 Euroscepticismのフランスヨーロッパ独立連合 Rassemblement pour la France et l'Indépendance de l'Europeを結成し、フィリップ・ドヴィリエのフランス運動と提携して、欧州議会選挙に臨んだ。また、1988年から2004年までオー・ド・セーヌ県県議会議長を務めた。これらの選挙で社会党に次ぐ勢力を確保するなど一定の成果を上げたあと、ド・ヴィリエと袂を分かった。1994年から2004年まで欧州議会で欧州懐疑派の会派、欧州国民同盟 Union for Europe of the Nations議長を務めた。2004年オー・ド・セーヌ県から共和国連合の後身である大統領多数連合(現在の国民運動連合)公認で元老院議員(上院議員)に選出された。豪腕政治家としてのパスクワには数々の汚職疑惑も取りざたされている。アフリカ諸国への援助関係の汚職(アンゴラゲート)やオー・ド・セーヌ県での公共事業関係の疑惑、さらにイラク国営石油公社の内部文書では、サッダーム・フセイン政権への支援供与などで名前がたびたび出ている。2007年大統領選挙の有力候補者で、内相、国民運動連合総裁のニコラ・サルコジとは、1975年にサルコジがオー・ド・セーヌ県議会議員に当選して以来の強い結びつきを持つ。サルコジ自身、パスクワについて「誰でも、私が彼(パスクワ)の分身であるということを知っている」と話している。
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  • シャルル・パスクワ
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