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  • エリーザベト・アマーリエ・フォン・エスターライヒ(Elisabeth Amalie von Österreich, 1878年7月7日 ライヒェナウ - 1960年3月13日 リヒテンシュタイン)は、オーストリア=ハンガリー帝国の皇族。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の姪、帝位継承者フランツ・フェルディナント大公の異母妹、皇帝カール1世の叔母。リヒテンシュタイン侯フランツ・ヨーゼフ2世の母親。全名はエリーザベト・アマーリエ・オイゲーニア・マリア・テレジア・カロリーネ・ルイーゼ・ヨーゼファ(Elisabeth Amalie Eugenia Maria Theresia Karoline Luise Josepha von Österreich)。フランツ・ヨーゼフ1世の弟カール・ルートヴィヒ大公と、その3番目の妻でポルトガルの廃王ミゲル1世の娘であるマリア・テレザの間の第二子、次女として生まれた。父にとっては3番目の娘であり、末娘である。1903年4月20日にウィーンにおいて、リヒテンシュタイン侯子アロイスと結婚した。この結婚を身分不相応だとする声も上がったが、伯父のフランツ・ヨーゼフ皇帝は2人の結婚式に出席し、その席上でリヒテンシュタイン家が正統な統治者の家系であり、自分の姪の嫁ぎ先として相応しいと認めた。皇帝はエリーザベト・アマーリエの長男の洗礼の代父となり、自分の名前を与えた。夫のアロイスは1923年、長男フランツ・ヨーゼフ2世のために自らのリヒテンシュタイン侯位継承権を放棄したため、エリーザベト・アマーリエはリヒテンシュタイン侯妃にはなれなかった。フランツ・ヨーゼフ2世は1938年、フランツ1世が死ぬとリヒテンシュタイン侯となった。
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