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  • エリザベッタ・ファルネーゼ (Elisabetta Farnese, 1692年10月22日 - 1766年7月11日)は、スペイン王フェリペ5世の2度目の王妃。パルマ公ラヌッチョ2世の長男オドアルド2世と、プファルツ選帝侯フィリップ・ヴィルヘルムの娘ドロテア・ソフィアの長女。スペイン名イサベル・デ・ファルネシオ(Isabel de Farnesio)。イサベラ・ファルネーゼとも呼ばれる。21歳で結婚。彼女をフェリペ5世の後添えに推薦したのは、王宮を取り仕切る老嬢ウルシノス夫人、そして政治面での王のアドバイザー、ジュリオ・アルベローニ枢機卿だった。パルマでの代理結婚ののち、スペインに到着すると、王の意志決定を左右するウルシノス夫人を追放し、エリザベッタは瞬く間に意志の弱い王を完全に影響下に置いた。政治ではアルベローニと理念を同じくした。すなわち、古来からのイタリア領、サルデーニャとナポリ・シチリアをスペインの支配に置くことである。王には既に先妻マリア・ルイーザ・ディ・サヴォイアとの間の王子たち、ルイスとフェルナンドがいたため、自分がこれから生む子供たちにスペイン王位と同等のイタリア君主の称号と領地を与えるのがエリザベッタの目標となった。彼女は精力旺盛に政治に介入、フランス軍がピレネー山脈を越えてきた際、彼女は自身でスペイン陸軍の一師団を指揮した(四カ国同盟戦争)。この戦争はスペインを列強に包囲され敗北、1720年にアルベローニ枢機卿の追放を余儀なくされ、シチリアから撤退しなければならなくなった。そして、彼女が思いとどまるよう説得をしてきたにもかかわらず、1724年にフェリペが突然長男ルイスに譲位して、自らはラ・グランハ宮殿に引きこもってしまった。ルイス1世は在位7ヶ月で天然痘で死去したが、弟のフェルナンド王子がまだ幼少のため、フェリペが復位した。この時、既にフェリペは廃人同様で、エリザベッタがスペインの政治の主導を握った。叔父のパルマ公アントーニオが死ぬと、嫡男がなかったため、彼女の長男カルロスがパルマ公となった。ポーランド継承戦争の結果、1736年にパルマ公位は手放すことになったが、引き替えにナポリとシチリアの王位がカルロスのものとなった。フェリペが死に、フェルナンド6世が王位につくと、王は義母をいたわる名目でラ・グランハへ押し込めた。しかし、エリザベッタは虎視眈々と、カルロスのスペイン王即位を狙った。即位した時には王妃バルバラは既に30代を超えており、子供が生まれる見込みは薄かった。このままフェルナンド夫婦に子供が生まれなければ、王位はカルロスのものだった。エリザベッタの願望どおり、フェルナンドは子供のないまま病没。愛子カルロスがカルロス3世として即位した。この頃、彼女は夫と同じ病気を患い、昼夜が逆転した生活を送っていた。そのため、王は母エリザベッタと暮らすことができなかった。エリザベッタは、夫より20年も長生きしたが、同じような状態でラ・グランハで亡くなった。
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