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  • アテナ・プロマコスの像(ギリシア語: Ἀθηνᾶ Πρόμαχος)は、かつて古代ギリシア時代にアテナイのアクロポリスに建てられていた、守護女神アテーナーの青銅像。彫刻家ペイディアスの初期の代表作で、プロピュライアとパルテノン神殿の間にあり、紀元前456年頃に造られた。マラトンの戦いでペルシア軍から奪った戦利品を用いて作られたと言われているが、現在残っているのは基礎の大理石の部分だけである。記録によれば像の高さは9m程であり、左手に盾、右手に槍を持っていた。その大きさにより、槍の先端や兜の紋章の部分が遠くスニオン岬(アテネの45㎞南東)からも見えたという。465年に東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルの皇帝宮殿に移設されるまで、1000年近くにわたりアテナイを見下ろす位置に立っていた。なお、十字軍を招き寄せコンスタンティノープルが占領される禍の原因となったという迷信から、1205年にアテナ・プロマコスの像は破壊された。アテナ・プロマコスの像のレプリカとして信じられているのは、メトロポリタン美術館のAthena Elgin像と、ルーヴル美術館のAthena Mediciトルソーである。
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  • アテナ・プロマコスの像(ギリシア語: Ἀθηνᾶ Πρόμαχος)は、かつて古代ギリシア時代にアテナイのアクロポリスに建てられていた、守護女神アテーナーの青銅像。彫刻家ペイディアスの初期の代表作で、プロピュライアとパルテノン神殿の間にあり、紀元前456年頃に造られた。マラトンの戦いでペルシア軍から奪った戦利品を用いて作られたと言われているが、現在残っているのは基礎の大理石の部分だけである。記録によれば像の高さは9m程であり、左手に盾、右手に槍を持っていた。その大きさにより、槍の先端や兜の紋章の部分が遠くスニオン岬(アテネの45㎞南東)からも見えたという。465年に東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルの皇帝宮殿に移設されるまで、1000年近くにわたりアテナイを見下ろす位置に立っていた。なお、十字軍を招き寄せコンスタンティノープルが占領される禍の原因となったという迷信から、1205年にアテナ・プロマコスの像は破壊された。アテナ・プロマコスの像のレプリカとして信じられているのは、メトロポリタン美術館のAthena Elgin像と、ルーヴル美術館のAthena Mediciトルソーである。
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  • アテナ・プロマコスの像
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