総持寺 (和歌山市)
總持寺(そうじじ)は、和歌山県和歌山市梶取にある浄土宗西山派の寺院。梶取本山(かんどりほんざん)、梶取本山総持寺とも。 赤松則村の孫で同派の僧・によって宝徳2年(1450年)に開創された。16世紀中頃には後奈良天皇および正親町天皇の勅願寺となった。また、総持寺はの北部に位置しており、同地を拠点とする雑賀衆の中でも信者が多かった。このため、石山戦争における雑賀衆の活躍も、本願寺を支持する浄土真宗門徒と織田信長に反発する一部の浄土宗西山派門徒による協力関係があって成立したとする見方がある。 天正13年(1585年)、羽柴秀吉による紀州征伐の際に全焼するが、その後復興し、寛文年間(1661~1672年)には禅林寺・光明寺の末寺となる。紀伊国と和泉国に八十八ヶ寺の末寺を有し、同派の檀林(学問寺)七ヶ寺の1つに数えられている。
494235
92008374
総持寺
34.2531
34.25311111111111 135.16058333333334
135.161
和歌山県和歌山市梶取86番地
總持寺(そうじじ)は、和歌山県和歌山市梶取にある浄土宗西山派の寺院。梶取本山(かんどりほんざん)、梶取本山総持寺とも。 赤松則村の孫で同派の僧・によって宝徳2年(1450年)に開創された。16世紀中頃には後奈良天皇および正親町天皇の勅願寺となった。また、総持寺はの北部に位置しており、同地を拠点とする雑賀衆の中でも信者が多かった。このため、石山戦争における雑賀衆の活躍も、本願寺を支持する浄土真宗門徒と織田信長に反発する一部の浄土宗西山派門徒による協力関係があって成立したとする見方がある。 天正13年(1585年)、羽柴秀吉による紀州征伐の際に全焼するが、その後復興し、寛文年間(1661~1672年)には禅林寺・光明寺の末寺となる。紀伊国と和泉国に八十八ヶ寺の末寺を有し、同派の檀林(学問寺)七ヶ寺の1つに数えられている。
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