独ソ戦
独ソ戦(どくソせん、獨蘇戰、英語: German-Soviet War)、または東部戦線(ドイツ語: die Ostfront)は、第二次世界大戦中の1941年から1945年にかけて、ナチス・ドイツを中心とする枢軸国とソビエト連邦との間で戦われた戦争を指す。 大戦の当初はポーランドを共に占領していたドイツとソ連であったが、1941年6月22日に突如ドイツ国防軍がソ連に侵入し(バルバロッサ作戦)、戦争状態となった。当時のソ連は国民を鼓舞するため、ナポレオン・ボナパルトに勝利した祖国戦争に擬えて大祖国戦争(ロシア語: Великая Отечественная война)と呼称。一方、ドイツ側では主に東部戦線と表現される。 ソ連は首都モスクワ前面まで攻め込まれたものの、英米を主力とする西側連合国とともに反撃に転じ、ベルリンの戦いでナチス・ドイツを敗北させた。戦後はアメリカ合衆国と並ぶ超大国となり、占領した東欧諸国に社会主義政権を樹立して東側ブロックを形成して冷戦に至った。戦場はドイツ東部を含む東欧諸国とソ連西部のほか、北欧(ノルウェー北部およびフィンランド)に広がり、さらに英米からソ連への援助を断つべく通商破壊が北極海やインド洋でも行われた。
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独ソ戦
中段左:スターリングラード攻防戦時のソ連軍
下段右:ユダヤ人女性を銃殺する特別行動部隊
下段左:降伏文書に署名するカイテル元帥
上段右:クルスクの戦いでのティーガーI
中段右:1943-1944年時のJu 87 シュトゥーカ
上段左:ベルリンの戦いでのT-34
独ソ戦
独ソ戦
下段左:降伏文書に署名するカイテル元帥
下段右:ユダヤ人女性を銃殺する特別行動部隊
中段左:スターリングラード攻防戦時のソ連軍
中段右:1943-1944年時のJu 87 シュトゥーカ
上段右:クルスクの戦いでのティーガーI
上段左:ベルリンの戦いでのT-34
(現在のロシア当局の公式発表、諸説あり)
犠牲者 1075万8000人
(諸説あり)
犠牲者 2660万人
background:#ffccaa
(義勇軍「青師団」を派遣)
25
ナチス・ドイツ
----
(遠征軍 を派遣)
ソビエト連邦
----
ヴィルヘルム・リスト
ミハイ1世
ジョヴァンニ・メッセ
サーラシ・フェレンツ
ドブリ・ボジロフ
エルンスト・ブッシュ
セミョーン・チモシェンコ
ヨシップ・ブロズ・チトー
ルドヴィーク・スヴォボダ
ニコライ・ヴァトゥーチン
ミハイ・ラスカル
25
ゲルト・フォン・ルントシュテット
イータロ・ガリボルディ
ベニート・ムッソリーニ
ヨゼフ・ティソ
ワシーリー・ソコロフスキー
エーリッヒ・フォン・マンシュタイン
マトヴェイ・ザハロフ
レオニード・ゴヴォロフ
キモン・ゲオルギエフ
アドルフ・ヒトラー
ホルティ・ミクローシュ
ペトレ・ドゥミトレスク
フェルディナント・シェルナー
ハインツ・グデーリアン
エドヴァルト・オスプカ=モラフスキ
ズィグムント・ベルリンク
アレクサンドル・ヴァシレフスキー
イワン・ペトロフ
ロディオン・マリノフスキー
クリメント・ヴォロシーロフ
アレクサンドル・ロジムツェフ
フョードル・トルブーヒン
キリル・メレツコフ
アンテ・パヴェリッチ
レンナルト・オシュ
ヴァルター・フォン・ライヒェナウ
ヴァルター・モーデル
カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム
イワン・バグラミャン
ゲオルク・フォン・キュヒラー
アンドレイ・エリョーメンコ
フリードリヒ・パウルス
ヴィルヘルム・フォン・レープ
ミハイル・キルポノス
エアハルト・ラウス
ヨシフ・スターリン
イオン・アントネスク
アレクセイ・アントーノフ
ゲオルギー・ジューコフ
エヴァルト・フォン・クライスト
コンスタンチン・ロコソフスキー
コンスタンチン・サナテスク
イワン・コーネフ
イリエ・シュテフレア
ギュンター・フォン・クルーゲ
リスト・リュティ
ラドゥ・コルーネ
パーヴェル・ロトミストロフ
2020
--06-22
ソ連軍の勝利
1
531
640
670
252
196
268
269
348
400
1944
1945
1941
1942
1943
2660
1075
(〜1944年)
(1944~)
----
25px|borderフランス国義勇兵]]
25px|border自由フランス(遠征軍 を派遣)
25px|borderロシア解放軍
ソビエト連邦
(義勇軍「青師団」を派遣)
(〜1943年)
25px|borderポーランド秘密国家
(1943年~)
ナチス・ドイツ
(1944年~)
(遠征軍 を派遣)
ソ連軍の勝利
1941年
196万
640万
348万3000
1943年
531万3000
269万7000
1945年
400万-550万
1942年
268万
252万2000人
670万
1944年
独ソ戦(どくソせん、獨蘇戰、英語: German-Soviet War)、または東部戦線(ドイツ語: die Ostfront)は、第二次世界大戦中の1941年から1945年にかけて、ナチス・ドイツを中心とする枢軸国とソビエト連邦との間で戦われた戦争を指す。 大戦の当初はポーランドを共に占領していたドイツとソ連であったが、1941年6月22日に突如ドイツ国防軍がソ連に侵入し(バルバロッサ作戦)、戦争状態となった。当時のソ連は国民を鼓舞するため、ナポレオン・ボナパルトに勝利した祖国戦争に擬えて大祖国戦争(ロシア語: Великая Отечественная война)と呼称。一方、ドイツ側では主に東部戦線と表現される。 ソ連は首都モスクワ前面まで攻め込まれたものの、英米を主力とする西側連合国とともに反撃に転じ、ベルリンの戦いでナチス・ドイツを敗北させた。戦後はアメリカ合衆国と並ぶ超大国となり、占領した東欧諸国に社会主義政権を樹立して東側ブロックを形成して冷戦に至った。戦場はドイツ東部を含む東欧諸国とソ連西部のほか、北欧(ノルウェー北部およびフィンランド)に広がり、さらに英米からソ連への援助を断つべく通商破壊が北極海やインド洋でも行われた。
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